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文=木村衣有子  絵・題字=中澤季絵

第1回
2016.05.21

草引越

 幾度やっても慣れないというのが、引越だ。

 前回はどの引越屋さんに頼んだんだっけ、とか、ガスってどうやって開栓するんだっけ、とか、まるっきり頭の中から消えていて、一挙手一投足毎に立ちすくんでしまう。そのためひとつひとつの事柄が新鮮だが、まあ、面倒なのもほんとうで、どっと疲れる。

 なにかに似ているな、これ。そうだ、恋愛だ。

 我ながら陳腐な発想だなあと呆れつつも、なかなかどうして、そう間違ってもいないのではという気もし。そう考えると、遍歴を重ねてきた恋愛のプロ、などと謳われる人の胡散臭さも腑に落ちる。数をこなすことに意味はない。プロにはなれないけれどやめられないでいる。例えるならば、プロ野球ではなく草野球、つまり、草引越か。

 以下、私の引越歴を書き出してみる。

 18歳で進学のために実家を出て、京都へ。大徳寺→衣笠→下鴨→丸太町→一乗寺。26歳で上京、中目黒→早稲田。ここで結婚。四谷→夫の単身赴任により、阿佐ヶ谷→目白でひとり暮らし。ふたり暮らしに戻り、浅草→北千住。再び夫の転勤で、福島市に越し、北千住にも別宅的ワンルームを新たに借りたのがこの春、40歳。

 そういや、8歳のとき、それまで住んでいた木造二階建ての家から、その裏に新築した平屋に越していた。幼かったし、しばらく元の家も残していてそちらと行き来していたから、引越ししたという風には思っていなかったが、振り返ればあれも引越ではあった。

 子供時代の引越は別として、実家を離れてから結婚するまでは特に、なぜこれほどまでにやみくもに引越を重ねたかというと、軽さを求めて。なにがあっても、部屋を移れば確実に気分が軽くなる、それはすごく気持ちいいことだった。ついでに、家財道具も整理するから実質的にも軽くなる。

 京都で通っていた大学に、外国に長めの旅をするのがいちばんの楽しみという先輩がいて、帰国後はいつもすっきりした顔をしていた。自分も真似をして、20歳の夏、タイへ初めての海外旅行をしてみたが、同じくらいのお金と手間とをかけるのだったら、どうせなら引越したいな、という結論に至った。つまり、新しい街、慣れない寝床、それによって浮き足立つ自分の心、私にとっては長い旅も引越も似たようなものなのだった。

 とはいえ、引越に際しての消耗が増しつつあることには、薄々気付いている。荷造り疲れで風邪を引いたのは、浅草から北千住への引越だから、37歳のときだ。そろそろ引越したいと言い出したのも、新しい部屋を探したのも自分だが、なんでまた、こんな面倒くさいことをしているんだろう、ああ、くたびれる、と、つい、ぼやいた。この春の引越でも、荷解き疲れでまた風邪を引いてしまった。以前は、引越疲れをこんなに引きずりはしなかった。引越に振り向けなければいけないほどエネルギーが有り余っていた、ともいえるだろう。それはそれで、まあ、たいへんだったよな、と、他人事のように回想する。

 これまでに住んだ家のひとつひとつについてあまり思い出せないことにも気付いた。窓から見えるのは、このときは欅の木だった、あのときは児童公園だった、そこははっきりしていても、じゃあ、そこから振り返った寝室の様子は、台所の調理台の向きは、となると果てしなくぼんやりとしている。いっとき暮らしていた家よりも、その頃にしばしば訪ねていた友人の部屋のほうが、よっぽど記憶に残っている。もちろん自分で選んだはずなのに、ここは離れ難い、というほどに愛着を持てた家もない。ほら、やっぱり数を重ねる恋愛に似ているでしょう。愛着を持てないものだから、さあ、次にいってみよう、と、腰を上げる、そういうところも。

木村衣有子(きむら・ゆうこ)

1975年生まれ。文筆家。ミニコミ『のんべえ春秋』編集発行人。著書に『もの食う本』(ちくま文庫)、『銀座ウエストのひみつ』(京阪神エルマガジン社)、『コーヒーゼリーの時間』(産業編集センター)など。『サンデー毎日』にて書評コラム「食べて、飲んで、読む」を連載中。

http://mitake75.petit.cc/

中澤季絵(なかざわ・きえ)

1981年生まれ。イラストレーター。学生時代は植物や微生物について学び、花とやさいのタネの会社で10年間働いた経験をもつ。生きものを慈しむ脇役蒐集人。絵で暮らしをいろどる楽しさを軸に幅広く活動中。

http://kienoe.com/

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