インテリア家具ショップのリグナが送る、ライフスタイルWEBマガジン
本を開くと映画が流れだす

文=月永理絵

第1回
2016.05.21

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』とレイモンド・カーヴァー

 突然、何かが終わってしまったことに気づく。表面的には何も決定的なことなど起こってはいないのに、ああ、もう元には戻れないのだと一瞬にして悟る。小説のなかに書かれたそういう瞬間が、私はたまらなく好きだ。

 レイモンド・カーヴァーの小説には、いつもそんな瞬間が描かれる。互いに愛人を持ち別居状態の夫婦が、もう一度やり直せるかもしれないと希望を持った次の瞬間どうやっても元には戻れないと気づく「必要になったら電話をかけて」(『必要になったら電話をかけて』所収)。夫婦仲の危機を迎え一晩中議論をした翌朝、ベッドで互いの顔を見ながら突然何かが終わってしまったことを悟る「ガゼボ」(『愛について語るときに我々の語ること』所収)。何がそれを悟らせるのかは描かれず、登場人物たちが決定的な事実に気づいたことだけが短い言葉で書かれる。だいたいが夫婦の物語で、気づいたあとも、彼らはどうするでもなくぼんやりとその時間をやり過ごす。カーヴァーの小説はいつだってそうだ。

 2015年のアカデミー賞を賑わせた映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』では、映画俳優であるリーガン・トムソンが、カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を題材にブロードウェイでの演劇公演を行おうとする。架空のヒーロー映画『バードマン』で一世を風靡し、いまや過去の人となったハリウッドスター役を演じるのは、実際に『バットマン』で一躍スターとなったマイケル・キートン。2年連続でアカデミー賞監督賞を受賞したイニャリトゥ監督らしい絶妙に気の利いた演出は、どこかあざとさも感じさせるが、“一発屋”のハリウッドスターがブロードウェイで初めて演劇に挑む際に選ぶ題材がカーヴァーの短編であるというのがおもしろい。

 映画では、演劇にするための大幅な脚色が加えられているようだが、もともとは二組の夫婦が台所でテーブルを囲み語り合うワンシチュエーションの短編小説だ。4人の男女が座るテーブルには、ジンとトニックウォーター、氷の入ったアイス・ペールとライムが置かれている。元夫や元妻の話をしながら自分たちの愛について語り合ううち、ふとしたきっかけで、ひどい交通事故にあったある老夫婦の話になる。最初は軽い笑い話だったはずが、話が終わったとき、4人の間に漂う空気は微妙に変化している。相変わらずジンを飲み軽く冗談を言い合っているだけなのだが、部屋が真っ暗になっても誰一人テーブルから立ち上がらず、明かりをつけようともしない。食事に行こうと提案しても誰も動かない。たったそれだけの描写によって、何かの局面が変わってしまったこと、そして4人ともその決定的な変化に気づいているらしいことが暗示される。盲目的な愛を育む老夫婦の話をするうち、彼らは自分たちの夫婦関係に本物の愛などないことに気づいてしまったのかもしれない。テーブルから立ち上がれない男女を残したまま、いかにもそっけなく、カーヴァーの小説は終わる。

 突然何かが終わってしまったことに気がつくのは、すでに終わってしまったという事実から長年目をそらしつづけてきたからだ。少しずつ破局が訪れているのにそれを見ようとせず、気づいたときにはやり直すチャンスさえ失われている。『バードマン』もまたそんな男の映画だ。自分のキャリアも、娘との関係も、もう立て直せないほどの危機を迎えているのに、それを直視せず無駄なものばかりに視線を漂わせている男。それがバードマンことリーガン・トムソンだ。

 映画のなかで演じられる演劇にも当然テーブルの場面は登場するが、登場人物たちの微妙な変化についてははっきりと映されないし、退屈な会話劇にしか見えない。だがリーガン・トムソンがもともと何らかの終焉の気配を感じ取っていたのだとすれば、カーヴァーの短編を自らのキャリアの終着点(あるいは出発点)に選んだのはもっともかもしれない。テーブルから立ち上がれない4人の代わりに、彼はすべてが終わったと知ったあとも、立ち上がり見事な羽ばたきを見せる。その結果がどうなったのか、それは誰にもわからないけれど。

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

監督:アレハンドロ・G・イニャリトゥ

出演:マイケル・キートン、ザック・ガリフィナーキス、エドワード・ノートン、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツ

ブルーレイ発売中

¥1,905+税

20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン

©2016 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

『愛について語るときに我々の語ること』
(村上春樹翻訳ライブラリー)

レイモンド・カーヴァー著、村上春樹訳、中央公論社

https://www.chuko.co.jp/tanko/2006/07/403499.html

月永理絵(つきなが・りえ)

1982年生まれ。編集者・ライター。〈映画酒場編集室〉名義で書籍や映画パンフレットの編集などを手がける。個人冊子『映画酒場』発行人、小雑誌『映画横丁』編集人。『メトロポリターナ』でコラム「映画でぶらぶら」連載中。

Copyrights © Rigna Co. All Rights Reserved.

インテリア家具ショップのリグナが送る
ライフスタイルWEBマガジン