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本を開くと映画が流れだす

文=月永理絵

第5回
2016.09.28

記憶と手紙がもたらす果てなき物語——プリーモ・レーヴィと映画『手紙は憶えている』

 書店の棚のなかでその本を手にとったのは偶然だった。もともとの目当ては別の本だったはずだ。だが、その隣に並んでいたプリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』へと、なぜか手が伸びた。なぜこの本を一緒に買おうと思ったのかはまったく憶えていない。結局私が本書のページをまともに開いたのは、2015年の初春。『SHOAH ショア』が公開されることが決まり、その宣伝の一環として「ユダヤ民族とホロコーストを考える」と題した選書フェアを企画することになったからだ。

 1985年に発表されたクロード・ランズマン監督の『SHOAH ショア』。20年前に日本でも上映されたこの映画は、第二次世界大戦中、ナチスの占領下で実行されたユダヤ人の強制収容、ホロコースト(大量虐殺)の全体像を関係者の証言のみで構成したドキュメンタリー。アウシュヴィッツ強制収容所解放から70年が経った2015年に再び渋谷で公開が決まると、9時間半近くの超大作にもかかわらず多くの観客が映画館に押し寄せた(映画は現在Beautiesにて配信中)。

 この『SHOAH ショア』公開を記念した選書フェアでは、さまざまなホロコースト関連本を集め、都内のいくつかの書店で展開することができた。自分でも改めていろいろな本に触れることになり、「そういえばこんな本もあった」と本棚の奥から引っ張り出したのが『溺れるものと救われるもの』だった。著者のプリーモ・レーヴィは、イタリアに生まれ、1944年にアウシュヴィッツ強制収容所へと流刑された。翌年ソ連軍に解放されイタリアに帰還するが、戦後は化学者として働きつつ、自らの体験を『アウシュヴィッツは終わらない』『休戦』といった本にまとめ、作家として活躍。だが、1987年に彼は自死をとげてしまう。その原因は不明だが、『溺れるものと救われるもの』は、彼が亡くなる1年前に刊行された書で、ここでも、自らのアウシュヴィッツでの記憶を刻々と綴っている。

 レーヴィが本書で書いているのは、体験の記録や告発というよりは、むしろ戦後数十年経ち、このおぞましき事件が人々の記憶から風化していくことへの危機感だ。残虐行為を行った加害者たちが不都合な記憶を抑圧し罪の意識を軽くすること。それにもまして、生き残った被害者たちの記憶が風化していくことへの恐怖を、レーヴィは自戒を込めて告発する。

 10月末に公開される映画『手紙は憶えている』もまた、アウシュヴィッツ強制収容所からの生存者を主人公にしたフィクションだ。だがホロコーストを題材にしていると言っても『SHOAH ショア』や、また同じく昨年に公開され話題を呼んだ『サウルの息子』(ネメシュ・ラースロー監督)のような映画とはずいぶん趣向が異なる。『手紙は憶えている』は、ホロコーストを題材にした映画として深刻な問題を扱いつつも、ひとつのサスペンス映画として完成されているからだ。『スウィート ヒアアフター』(97)をはじめ癖のある作品をたびたび手がけてきたアトム・エゴヤン監督ならでは、とも言えるが、本作で脚本家デビューした新鋭ベンジャミン・オーガストの決め細やかな脚本が、この映画を実に独創的なものにならしめている。

 映画は、ある老人ホームで暮らす90歳の男ゼヴ(クリストファー・プラマー)が、かつて自分の家族を皆殺しにしたナチスの兵士に復讐するための旅に出るという、奇妙な物語から始まる。なぜこれが奇妙かといえば、実はゼヴは認知症を患っており、彼自身にはその復讐を実行するだけの記憶がはっきりと残されていないからだ。眠りに落ちるたびに、彼は「なぜ、自分がこの場所にいるのか」「自分は何をしようとしているのか」を忘れてしまう。不確かな記憶と老いた肉体をしかもたないゼヴの旅は実に危うい。そんな彼を助けるのが、老人ホームの友人で、ゼヴと同じくアウシュヴィッツ収容所にいた経験を持つマックス(マーティン・ランドー)からの手紙。記憶が曖昧になるたびに、ゼヴは手紙を読み直し自分の旅の目的を思い出す。

 マックスが見当をつけた相手を何人も訪ねるゼヴ。彼が会うのは、さまざまな戦争体験者たちだ。自分と同じく被害者だった男、元ナチスではあるが自分の家族を殺したわけではない男、そして吐き気がするような事実を語る若い男。ゼヴは、震える手で手紙と拳銃をにぎりしめ、彼らの言葉をただ聞いていく。

 一通の手紙によって導かれるこの旅の記録は、ある意味でその手紙こそが主役だと言えるかもしれない。おもしろいのは、その手紙は二人の間でやり取りされたものではない、ということだ。マックスが書いた手紙を、ゼヴはただ受け取り読み続けるだけだ。言葉を書く者と、書かれた言葉を読む者。ふたりの対照的な関係性が、物語をかつてない展開へと導いていく。

 映画を見て思うのは、人間の記憶というものほど不確かなものはないということだ。だが一方で、その記憶によってしか証明できない物事(誰が加害者であり、その人物が何を行ったのか)がある。その矛盾がなんとも興味深い。

 『溺れるものと救われるもの』の第8章「ドイツ人からの手紙」では、レーヴィがかつて書いた『アウシュヴィッツは終わらない』がドイツで翻訳された際のできごとが綴られている。ドイツ人たちに対し、自分のホロコースト体験を読ませることに、神経質になりながらも喜びを感じるレーヴィ。彼は翻訳を発表したのち、幾人かのドイツ人読者たちと手紙のやりとりをする。この章は主にこの手紙の引用によって構成される。実際に戦争を体験した者から、戦後に生まれた女子学生、そして自ら政治犯として迫害された女性など、さまざまなドイツ人たちからの手紙に対し、レーヴィは、ときには怒りと共に、だが全体的にしごく冷静な様子で返事を書いている。この手紙のやり取りには、加害者と被害者という二項対立には収めがたい、静かな興奮を覚える。

 最後に、本書の第1章「虐待の記憶」での言葉を引用しよう。何気なく書かれた言葉だが、おそらく『手紙は憶えている』を見たあとには、この言葉の重さがさらに強く感じられるだろう。

傷つけられたものは、その苦痛を新たにしないために、記憶を消そうとする。傷つけたものは、それから逃れ、罪の意識を軽くするために、記憶を心の底に押し込む。

(プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』より)

『手紙は憶えている』

監督:アトム・エゴヤン

脚本:ベンジャミン・オーガスト  

出演:クリストファー・プラマー、マーティン・ランドー、ブルーノ・ガンツ ほか

10月28日(金)TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー

©2014, Remember Productions Inc.

http://remember.asmik-ace.co.jp/

『溺れるものと救われるもの』

プリーモ・レーヴィ著、竹山博英訳、朝日新聞出版

アウシュヴィッツ収容所から生還したレーヴィが、その生還から40年後、そして自ら死を選ぶ1年前に刊行した本書。善と悪とに単純に二分できない「灰色の領域」、生還した者が抱える「恥辱」、人間が持つ最も恐ろしい悪魔的側面を描いた「無益な暴力」、アウシュヴィッツが風化することへの恐れを論じた「ステレオタイプ」……実際に地獄を体験した者でなければ語れない証言をつづった、古典的名著。

http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=16031

月永理絵(つきなが・りえ)

1982年生まれ。編集者・ライター。〈映画酒場編集室〉名義で書籍や映画パンフレットの編集などを手がける。個人冊子『映画酒場』発行人、小雑誌『映画横丁』編集人。『メトロポリターナ』でコラム「映画でぶらぶら」連載中。

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