インテリア家具ショップのリグナが送る、ライフスタイルWEBマガジン
本を開くと映画が流れだす

文=月永理絵

第2回
2016.06.29

映画『クリーピー 偽りの隣人』と『青髭』の「禁じられた部屋」

 黒沢清監督の映画『CURE』(1997年)の冒頭に登場する、一冊の本がある。ヘルムート・バルツ著『青髭 愛する女性(ひと)を殺すとは?』。グリム童話『青髭』を、ユング心理学をもとに読み解いた書だ。もとの童話を引用しながら著者の解釈が行われていくが、180ページほどの小さな本で、研究書のような堅苦しさはない。前後の訳者あとがきによれば、著者はチューリッヒのユング研究所の所長をつとめたノイローゼ学の権威であり、サイコドラマの研究者、そしてフェミニズムの理論家でもあるという。

 『青髭』の物語の大筋はこうだ。裕福だが青い髭を持つ謎の男のもとに嫁いだ女は、広大な屋敷のすべての部屋の鍵を託される。そのなかでひとつだけ開けてはいけない禁断の部屋があるが、夫が出かけたすきに、妻は誘惑にかられその部屋を開けてしまう。するとなかには多数の死体(青髭の先妻たち)があり、驚いた妻は鍵を血の海のなかに落としてしまう。

 『CURE』では、役所広司演じる刑事の妻が、病院のカウンセリングでこの本を読み上げる。『青髭』の物語が朗読されるだけでドラマの展開に直接関わることはない。一方バルツは、男性性/女性性という点からこの物語を読み解いていく。ユング心理学には詳しくないが、青髭の「内面の女性性」を指摘し、その妻を「時代遅れのフェミニスト」と呼ぶなど、その独特な視点がおもしろい。

 なかでも興味を惹かれるのは、「禁じられた部屋」についての章。禁じられた部屋にはいつも秘密の力が隠されている、と著者は言う。禁じられたものは必ず明るみにでなければならない。つまり禁じられたものとは、初めから暴かれるために存在するということだ。

 黒沢清監督の最新作『クリーピー 偽りの隣人』にも「禁じられた部屋」が登場する。『クリーピー』は、犯罪心理学者の高倉(西島秀俊)が追う未解決の一家失踪事件が、やがて隣家に住む西野(香川照之)とその家族の奇妙な関係へつながっていくサスペンス映画。謎の隣人西野の家に「禁じられた部屋」がある。一般的な民家のなかに突如現れる、異空間のような暗く閉じられた場所。不思議に思うのは、果たして誰にとっての「禁じられた部屋」なのか、ということだ。

 映画では、誰もその部屋を開けるのを禁じたりはしない。家を訪れた者は当たり前のようにそこへ足を踏み入れる。不気味な笑みを浮かべる西野自身、高倉の妻(竹内結子)に対し「どうぞ、妻に会ってあげてください」と誘いかけ、まるで彼女を家の中へ中へと導き入れたいかのようだ。ではなぜそれが「禁じられた部屋」なのか。理由は、『青髭』と同じように、部屋には、他人の目から隠したい何かが隠されているからだ。普通に考えれば、部屋のドアを開けたときに秘密は暴かれるはずだが、西野家に関しては何かが違う。家の玄関を開けたとき、部屋に続く廊下を歩き出したとき、あるいは、家の門に手をかけた時点で「禁じられた部屋」が彼らを待ち受けている。その境界線を超えてしまえばもう元の世界には戻れない。けれどどこが境界線なのか。それがわからない。

 観客はやがて気がつく。問題なのはこの部屋ではない。西野という男自体が「禁じられた部屋」なのだ。この男の領域に入ったが最後、人は、彼の秘密の力を暴きたいという欲望にとらわれてしまう。この映画は、その欲望にとらわれた者たちと西野との対決を描く。彼が青髭と同じ存在とは言わないが、少なくとも、この男の持つルールは私たちが知っている世界のそれとはあまりに違う。「禁じられた部屋」自体よりも、そのほうがもっと恐ろしい。

 さて『青髭』といえばもうひとつ好きな小説がある。カート・ヴォネガット著『青ひげ』(朝倉久志訳、早川書房)。こちらは、かつて前衛画家として名を馳せたものの、その後は抽象画のコレクターとして隠居生活を送るひとりの男の物語。彼の屋敷にもまた「禁じられた部屋」が存在するが、この部屋の正体は、もっと幸福な驚きに満ちている。

『クリーピー 偽りの隣人』

監督:黒沢清

脚本:黒沢 清、池田千尋

出演:西島秀俊 竹内結子 川口春奈 東出昌大 香川照之

原作:「クリーピー」前川 裕(光文社文庫刊)

©2016「クリーピー」製作委員会

creepy.asmik-ace.co.jp

『青髭 愛する女性(ひと)を殺すとは?』

ヘルムート・バルツ著、林道義訳、新曜社

月永理絵(つきなが・りえ)

1982年生まれ。編集者・ライター。〈映画酒場編集室〉名義で書籍や映画パンフレットの編集などを手がける。個人冊子『映画酒場』発行人、小雑誌『映画横丁』編集人。『メトロポリターナ』でコラム「映画でぶらぶら」連載中。

Copyrights © Rigna Co. All Rights Reserved.

インテリア家具ショップのリグナが送る
ライフスタイルWEBマガジン